ニューヨーク合同展
1992年
七宝工芸作家 斉藤芳子
■アメリカニューヨークへ
1992年4月末、アメリカニューヨークにて、USA在住の七宝アーティストと日本の七宝作家12名の合同展があり、私もその一人に加わってニューヨークの風にゆっくり触れることが出来た。
お上りさんよろしく、まずエンパイア―ステートビルに昇ったり、メトロポリタン美術館やセントラルパーク、近代美術館と連日の強力な刺激を受けて夜もなかなか寝付けない程だった。アメリカの作家との親睦もいろいろ出来て、彼らのロフトも訪ねることが出来た。
日本からの出品者もユニークな人揃いで帽子アーティストの宋 香(そう かおる)さん、生け花でアートを表現する小林 紫映さん、アメリカ各地に作品を出している長谷川 淑子さん、ボストンに100本の桜を寄附しニューヨークにギャラリーを持つ竹尾 京子さんなど、異色のメンバーだった。
■スタジオ見学
映画「ゴースト」の中で古い倉庫をどんどんスタジオに直して行くシーンがあったけれど、まさにそんな素敵なスタジオを3軒見せていただいた。1軒は写真家コーディネーターの家、2軒目はジュエリーアーティスト、3軒目はエナメルアーティストと、どれも広々として素晴らしいスタジオである。天井の高さと広さ、その生活センスの良さには大変驚かされた。また、ブックストアには〝エイズコーナー〟〝ウーマンリブコーナー〟があり、各種本の中に使っている写真家の腕前はため息が出るほど素晴らしいものだ。文化を発信するにはとてもフォトは重要であると再認識させられた。
■イエローキャブ
食事時に少しコンチネンタルな顔の甘いマスクの素敵なチーフマスターがしきりに私にウィンクを送ってくるので、ドキドキしてしまう。アメリカに来ると、とかく日本人女性は若く見られるので、子持ちの私でもこんなことがあるのかと思う。私の泊まったエンパイアホテルはリンカーンセンターの隣りにあって、何をするにもとても便利なところである。さほど遠くないところに松田聖子や郷ひろみのマンションがあるという。ソーホーではゴーストの撮影が行われたし、ウエストサイドストーリーでは、やはりニューヨークのダウンタウンのシーンが多かったので落書きの壁、太い網状の塀など映画の中のシーンに入り込んでいるような気分になった。ニューヨークではいつでもイエローキャブ(タクシー)が拾える。車体がオールイエローでミュージカルがはねた後など黄色一色で道が埋まってしまうくらい。中でも特に驚いたのはロシアから出稼ぎのイエローキャブの運転手でアメリカの中にもう既にこんな形でどんどん入って来ているのだ。アメリカという国の懐の大きさを感じさせられる。ロシア人の彼は車の中でお国の恋歌をしんみりと聞いていた。たまにおしゃべりな運転手の車に一人で乗っていると、一人か?結婚しているのか?子どもはいるのか?と質問攻めにあって少々閉口してしまったりもする。イエローキャブはどこでも拾えて間違いなく目的のところに着けてくれる。とても便利だ。
■自由の女神
ニューヨークで船上のレストランでクルージングをしながら自由の女神を見る。アメリカのもろもろの特大サイズに驚いていた私は、意外に心の中で思っていたサイズより女神が小さいと感じた。
ここは、ナイトディナーに恋人と二人連れで来ると素晴らしい所である。
■キャッツ
ミュージカルのキャッツはロングセラーなので、何と飛び入りで格安の60ドルのしかも最前列の席に座れる。舞台の中に入っているような席でねこちゃんが私のショッピングバッグの中までニャンニャンゴロゴロのぞきに来て楽しい。
「メモリー」のテーマソングが最高で、その素晴らしい歌声が頭から離れない。新しいミュージカルは人気が出てしまうと、たとえプレミアムを高くつけても、なかなか良い席に座ることはできないのだそうで、私はとてもラッキーだった。
■タクシー
ニューヨークCityは碁盤の目になっていて番号がしっかりわかるようになっている。絶え間なく流しているタクシーは、世界各国の出稼ぎ運転手で万博のようだ。言葉も大変な訛りでわかりずらい。ラデイソンホテルと言ったら、エジソンホテルに連れて行かれてしまった。でも、こんな事はめったにない事で非常に便利で安心である。
■メトロポリタンの日本館
世界一の美術館であるメトロポリタンの日本館が又素晴らしく、日本人の工芸職人はこんなにもすばらしい仕事をしていたのだろうかと目を瞠る思い。能衣装、刀、鎧etc…。それも最高の出来栄えの物ばかりで日本にないのが残念という気がしないでもないけれど、日本にあってもこれだけの扱いはとてもムリであろうと思うので、かえって作品にとっては幸せな事かも知れないと思った。これだけの物を集めたアメリカ人の目の高さを想う…。
イサム・ノグチの大作がその中央にあり、日本館の展示をビシッとひきしめてくれていた。重々しい迫力のある作品群を見て、あらためて日本人の伝統工芸は素晴らしいものであることを認識する。
■ニューヨークの人々の優しさ
汚いと言われていた地下鉄が綺麗だったのには驚いた。物騒かと思ったが、夜でなければ昼間は大丈夫とのことで利用した。今でも、落書きはまだ一部残っているそうだけれども、大部分が日本で開発した落書きのできないセラミックスに取り替えられたのだそうで、悪いニューヨーカーがいくら頑張って書いても簡単に消されてしまうのだそうだ。
今回私はニューヨークの人々の優しさ、アメリカ人の優しさを思いっきり感じた。皆の口から頻繁に出されるエクスキューズミーやハローが心地よい。通りで地図を見ていると婦人が「何か私にあなたを手伝える事がありますか?」と先方から聞いてきてくれる。
車イスの人も、道路、公園、美術館などで良く出会う。又、そのとなりで優しく話しかけている人たちもたくさん目にした。今まで私は〝ニューヨーク=物騒〟というイメージが、あまりにもあり過ぎたようだ。ただし、高級な服、鞄、バック、カメラを身につけ、いかにも旅行者風情でいる人にとってはとても物騒なキケンな町である事はたしかなようである。
■ニューヨークのエイズについて
小森のオバチャマみたいなガイドさんが川岸の肉市場の近くで声を張り上げ、「このへんはゲイがとても多い所です。身を売る女の子もけっこういて、まだ10代の女の子が20ドルくらいでOKいたしますが、3年くらい経ちますと病気が出てまいります。今、ニューヨークの病院はエイズで満員でございます」とのこと。又、「それに、このへんは夏になると(ハドソン川のほとり)、裸のゲイで川岸が溢れていましたのですけれども、皆、病気になったり、死んだりしまして、すっかりここの所、ゲイの人々が少なくなってしまいました」とか言っている。すぐ横を化粧をしてイヤリングを付けたゲイが通り過ぎてゆく…。
話半分に聞いていたらニューヨークで知り合った井村さんというメタルアーティストの話しで、「クリエイティブな仕事の人が軒並みニューヨークではエイズで、ファッション関係者に広がり、蔓延して、一時はニューヨークの高級ファッション産業を担うデザイナーがいなくなってしまうのではないかと危ぶまれたほど、つぎつぎにエイズにかかっている」そうだ。エイズの乞食が白い顔をして道路で物乞いをしている(胸にエイズのプラカード)。道で通りすがりのたくさん数の人がきっとエイズキャリアなのだろうと思うと身の引き締まる思い。コワイ!エイズの募金箱もあちこちに置いてあって、私も箱の写真を撮らせてもらい、わずかばかりの金をビンの中に入れる。
井村さんは真剣な顔で「あなた、日本はもっとエイズのことを知って、しっかり予防しなくては、すぐに蔓延してしまうわよ…、日本に帰ったらたくさんの方に話をして頂戴ね。私も一時エイズノイローゼになりそうだったけれど、感染経路がはっきりわかったら、知識さえあれば予防できることなのだから」としっかり頼まれてしまった。
■ニューヨーク郊外に行く
旅が終わりに近くなったころ、1日ニューヨーク郊外、電車で1時間40分のところにあるduba(デゥーバ)さんのアトリエとご自宅を数名で訪ねることになった。Stony creek(ストーニークリーク)という綺麗な町で海岸べりのこの土地は白人がインディアンを侵略し始めた最初の土地だそうだ。数万人のインディアンをこの土地から追い出したのだそうである。今もわずかにインディアンが残っているが、カジノをやっているという話だ。インディアンにとってコロンブスは大変な悲劇を巻き起こす原因となった人間で英雄ではさらさらないのだそう。ストーニークリークはレンギョウとモクレンの咲く別荘地のようなところで(実際セカンドハウスは多い)、ローズクオーツ(ピンク色)の宝石の取れる土地。デゥーバさんの御主人でクラフト作家のトムさんがガイドしてくれた。
この町で作品展をやらないかと勧めてくれて2か所のギャラリーを見せてくれた。デゥーバさんの作品は彼女がイスラエル出身でもあり、一風変わったモチーフで技法も彼女独特である。傾向としては、フンデルト・ワッシャーに近い感性がある。
■フリーダカーロとディエゴ
ニューヨークでもボストンでも美術館ではフリーダカーロとディエゴの作品が一際目についた。出版物も多い。ピカソとディエゴのそっくりな作品が同室に展示してある。有名な作家でも、他の作家の影響を受けたり、又与えたりしているのだと思った。ニューヨーク近代美術館、ホイットニー美術館も素晴らしかった。グッケンハイムは残念ながら工事中で入れず、近代美術館の近くにあるクラフトセンターやミュージアムショップの作品がとてもユニークだ。
■積み木の家
夜はニューヨークジャズを聴きに行ったりしたが、同行の人が「紅花」に行ったら、ちょうどロッキーがいて長くおしゃべりを楽しんだそうである。ラッキーだったのこと。全米その他日本にもたくさんの店を持ち、又彼は各都市にたくさんの妻(のような)と子どもがいる。エビ、カニアレルギーの私は残念ながらアメリカでロブスターが一度も食べられなかった。まわりの同行人が山のようなロブスターを食べるところをいつも横目でチラリである。
ニューヨークから30分くらい離れた町をバスで通った時のこと…、カラフルな新しい積み木の家のようなかわいらしい家があった。それが何とガイドさんのお話で「黒人なでのビンボーな人たちがこのマッチ箱のような家に入っております」と聞いたけれど、2階建てで、どう見てもステキな家で日本でいうと中流の上クラスの家である。ジャパンバッシングの人々に日本に来てもらって現状を見てほしい。日本は豊かであるとは言い難いのではないか。
■山火事と車が燃え盛っていたこととロスの暴動について
二度あることは三度のたとえ通り、今度の旅で三度のアクシデントに出会ってしまった。アメリカでは木と木が擦れただけで自然発火してしまうことがあるそうで山火事などはしょっちゅうなのだそうだ。山火事のもうもうとした黒煙の中のハイウェイを一気に通り過ぎたけれど、火の粉がたくさん飛んできてとても怖かった。しばらく行くと、先の車が火の粉が車に燃えついて半分くらい燃え盛っていた。茶の間で見ていたテレビニュースの中に現実に入ってしまったようで、もう一度何かあるとイヤだなと心配していたところ、帰りはロス空港が地震と暴動で煙に包まれて発着できず、ソルトレイク、ポートランドと細かくあちこち飛行機を乗り継ぎ乗り継ぎ、やっと日本に帰ることができた。やはり日本の古くからのたとえ通りである。
EAST MEETS WEST
ART EXHIBITION
APRIL24~APRIL29
11:00A.M~6:00P.M
「MAY」JUNKO TAKAO
200EAST 65th steet 22B
NEW YORK NY10021
Phone.212(826)9834
「OPENING PARTY」
APRIL 24th FRIDAY from 6:00 to 9:00p.m
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