七宝焼アーティスト 斉藤芳子 || 七宝焼アトリエCOCO

旅行記 Travel notes旅行記 Travel notes

ロシア アバンギャルドについて

七宝工芸作家 斉藤芳子

 先日、あるテレビ番組を見た。それは、ロシア文化研究の第一人者である、亀山郁夫先生(現 名古屋外国語大学学長、2008年にロシア語・ロシア文化の普及に貢献した外国人に贈られるプーシキン・メダルをロシア大統領より授与)が、ウズベキスタン西部、アラル海近くにあるカラカルパクスタン美術館を訪れるものであった。
 私は美術関係で3度もウズベキスタンに行っていながら、全くこの美術館の存在を知らなかった。何と驚いたことに、ロシアの近代前衛絵画作品のほとんどがウズベキスタンにあったのだ。たまたま見ることができた深夜のBS番組は、私の歩いた見覚えのある景色も映し出していた。
 私はこれまで迂闊にも、モスクワやサンクトベテルブルグから数千キロも離れたウズベキスタンが、これほど美術との関わりがあるとは思ってもいなかった。
 1930年頃からスターリンによる文化的なものに対しての圧力が強まり、革新的芸術を模索していた作家への弾圧も始まった。1917年のロシア革命で花開いた前衛芸術文化は惜しくもその多くが潰され、作家は投獄され、拷問を受け、その上に強制労働をさせられた。その中には銃殺された者もいた。
 そんな時代になんと3万8千点にもおよぶ絵画を、イーゴリーサヴイッキーという一人の人物が収集し、弾圧寸前に買い上げた。ロシアの中でもモスクワから遠く離れて、まだ少し政治的に目の届かなかったウズベキスタンのそれも、タシケントからさらに遠い砂漠地帯に位置するルクスの町の美術館に集めた。これほど大量の絵画を救った人物がいたのだ。私は1年ほど前、何も知らず近くまで行っていたことを思うと、見過ごしたことは残念だけれど、またいつかきっと訪れてみようと思う。
 私が衝撃を受けたことの中で、絵画の「二枚舌」の作品というものがある。これは何人もの画家が残しているが、キャンバスの表には国の体制に従う戦争画のような、またはそれに準じたような絵が描かれ、そして裏側には画家本人が本当に描きたかった絵が描かれている。これほど絵画に自由のなかった中で、画家がこのような方法で本当に描きたい絵を制作していたのかと思うと、胸の苦しくなるような思いである。
 このカラカルパクスタン美術館には、カラカルパク族の工芸品を、初期は置いていたのだそうである。ここの初代館長がサヴイッキーだった。今は女性のマリニク館長が、この膨大な前衛作品群を守っている。あまりの量にほとんどが飾られることなく、倉庫の中に眠っている。飾られているものの中に、ルイセンコの「雄牛の絵」があり、これは第一級の名画と言われている。
 私が、特に興味を引かれたのは、女流画家コロバイの作品で、1940年頃にサヴイッキーがモスクワにあった作家の屋根裏のアトリエに出向いて買い求めた数点の作品で、やはりその中には迫害されていた中で描いた「二枚舌」の作品もある。キャンバス裏にある絵画は、本当に描きたいモチーフが彼女独特の色彩でいきいきと描かれている。
 ウズベキスタン第一の画家であったタンシクバエフ氏の作風も、弾圧前はのびのびとした色彩に溢れた抽象的な絵画であったが、その作品がどんどん国の要求に媚びた絵に変わっていった。
 タシケントのもう一人の第一級の画家、クルジンは「投資家」というタイトルの風刺画を描いて、(1936年から)14年間も投獄され強制労働をさせられたという。
 さらにスターリンのあと、フルシチョフも文化的弾圧を続けたと知り、私がサンクトベテルブルグの美術館で以前多く見たアカデミックな作品とはまた違った作風の、画家が本音で心の中を表現した瑞々しいアバンギャルドの作品がカラカルパクスタン美術館では見られるのではないかと思う。
 経緯を知れば知るほど興味は尽きない。私がタシケントに行って疑問に思っていたことの一つ、美術作品にとても力を入れているウズベキスタン文化の謎が、少しだけ解明された思いがした。

旅行記トップへ >

▲pagetop