■2018年4月17日
早朝5時に藤岡インターの高速バス乗り場からバスに乗る。今回のウズベキスタンの旅をご一緒するフェルト作家の村上さんとは成田空港で合流。飛行機が1時間半も遅れて成田空港を出発する。タシケント空港に到着後、荷の中から展示の品を出して、今回の宿のアートホステルへ移動する。ホテルの近くで買ったホットドックと、日本から持ってきたインスタントラーメンを村上さんと2人でホテルの部屋で食べる。前回に比べ空港や街が、さらに又きれいになっていた。5月のタシケントの緑はとても美しい。
■2018年4月18日
朝9時からキャラバンサライ(故平山郁夫先生の協力によりタシケントに創設された文化遺産の調査・研究・研修・展示施設)内のギャラリーで展示の用意を始める。ここにはスタッフが何人もいるのでありがたい。慣れた所なので何と11時にはほとんど終了。ウスマノフ館長にレストランに連れて行っていただく。ウスマノフ館長と村上さんは羊肉のかたまり、私はラグマンをごちそうになる。その後、近くのスーパーマーケットに行ってお買いもの、頼まれていたあんずなど…。その後、ウスマノフ館長が近くの美術館のイベントに連れていってくれる。若い作家の卵が多数発表している。
■2018年4月19日
オープニングの日。大勢の人で溢れる。通訳のアフロール君も来てくれる。文化大臣も来てくださり、いろいろと質問される。アフロール君は日本語が思ったよりもしゃべれない。そのうえ、シャイだ。ウズベキスタンを代表する陶芸家ナジーラさんと再会する。私は彼女の作品がとても好きだ。自分の作品とも少し似たところがあったりする。村上さんもテレビのインタビューを受ける。キャラバンサライの入口の広場にてオープニングの式典があり、大勢の人々の前で村上さんがトーク。私は今回来られなかった岡田氏の代わりにトークさせられる。12時30分から村上さんによるフェルトのワークショップ。多数の参加希望者の中からやっと15名ほどにしてもらった。1時間ほどで小さな10センチ×10センチほどの壁掛けが完成する。
※ナジーラさんの作品は、カラカルパクスタン共和国(ウズベキスタン共和国内にある自治共和国)の首都ヌクスにあるロシア アバンギャルドで有名になった美術館や、あちこちの大きな美術館などに収められています。彼女のインスターレーションは数か国で行われている。いつか日本でもやってもらいたいものです。
■2018年4月20日
朝、開店したばかりのスーパーマーケットに行き、めずらしい品々を物色する。乾燥フルーツなども多いが、この砂漠の多い土地はとても肌が乾燥するため、ロシア製などの保湿クリームの質がとても良く、シワやシミに良いのだそうで、買ってみる。
今日は七宝教室の日で私が一番忙しい日、準備をする。来てくださった人の中には作家さんも数名入っている。さすがプロの方の仕上がりはレベルが高い。
昼食はウスマノフ館長と、ラグマン(中央アジア全域で広く食べられている手延べ麺)とスープを食べる。その後にチョルス・バザールへ。アトラス布、玉チーズ、みかん、大皿、砂糖の結晶などを買う。
■2018年4月21日
午前アルバイトをお願いしたアフロール君にハシムメドルセへ連れて行ってもらう。ハズラディモスクの前に彼のお母さんが待っていたのにはビックリ。でも、おかげで買い物に付き合ってもらえた。彼女はロシア語の先生。このモスクの裏は工芸品の実演をやっていて、又ここでも買い物をする。ウズベキ語で通訳してもらえてとても助かった。お昼はプロフランチで済ませ、13時よりナジーラさんの陶芸のワークショップをギャラリーの庭でしているのを見せていただく。その後現代アートセンターに行き若者が主のアマチュアの野外展を見る。センター内には高レベルなアートが競い合ってウズベキスタンのレベルの高さが見られる。主に現代アートで溢れ、テクニックも様々。そのあと15時から出品者、学生、作家、音楽家、その他1,000人近く集まった広場での受賞式。数々の賞が渡され、私が岡田氏の代理として賞状をいただく。村上さんはインタビューをされる。私は参加証明書を額付きでいただいた。ステージの上段から下段までズラッと素晴らしい民族衣装の美しい女性が並んでいる。少し前には舞踊と、ウズベキスタンの美空ひばりと呼ばれる歌手が歌を披露したそうである。
■2018年4月22日
この日は少し南の砂漠の中にある遺跡を見に連れて行ってもらう。時速140キロで車を飛ばすので200キロくらいはタシケントから離れたと思う。遺跡は5,6世紀頃のもので、掘り下げると中から3つくらいの宗派の跡が出てくるのが不思議。まわりには綿の畑があり、ところどころ赤いケシの花が咲いている。近くには川が流れ、雄大な景色の中で遺跡を歩くと、骨や絵柄のついた土器の破片がゴロゴロしている。6世紀の遺跡の下に5世紀の黒ずんだ土が見えたりしている。この場で発掘している5人のメンバーは近くの農家で共同生活をしている。そこへお邪魔して川魚のフライやコーヒー、お茶、トマトピューレなどをいただく。ピューレが素晴らしい味で持ち帰れないのが残念! 白い繭のような落雁のようなお菓子もいただく。ロシアのひまわりの種にチョコをまぶしたものも美味しかった。井戸から水が常に湧き出ている。飲むととても冷たくて美味しかったが、少し塩分が混ざっている。ここの人は飲み水を買っている(大ビン20Lほどで80円)。帰りに道端のレストランでサモサの焼き立てを立ち食いする。この日に同行したのはウズベキスタンで墨絵を教えている美人のガヤナさんと娘のサミーラちゃん。
■2018年4月23日
昨夜、外務省のイサットさんとアクバル君が夜に遊びに来てくれ、日本からのお土産やお酒を味わってもらう。ミニパーティーでいろいろと話をしたが、その中で帰りに重量オーバーで税をたくさん取られるはずだった荷物を、イザットさんが無税で送ってくださる手配をしてくれることになった。大助かりである!
23日の午前はタタール人でロシア系のナジーラさんのところにお邪魔をする。女性ドライバーのタクシーに乗ったのは初めて。今年は前回の3倍以上のタクシー代、10,000スムも払う。銀行もホテルも街中も、今年から同じ換金率となる。陶芸のアトリエは1年ぶり、庭には美しいバラが咲いている。ナジーラさんから村上さんと私にお皿のプレゼントをいただいた。直径30センチの大作だ。ざくろの絵がステキ。彼女とのトークは主にパソコンでやる。英語を入力し、ロシア語に翻訳する。プロフや干した果物などをごちそうになる。帰りのタクシーでは、2度も客が乗り込んできて、そのうち1人はなんと日本人。映画を作っているメンバーで、黒澤監督とウズベキスタンとの共同製作で前田敦子主演の映画を製作しているとのこと。偶然でおもしろい。ホテルに帰ってギョウザと(ロシアの)シャシリクを食べ、荷造りをする。
<完>【ちょっと一言】
●日本では、“馬”と“鹿”でバカだが、ウズベキスタンでは「あいつは“羊”だ」で、あいつはバカだ、になる。
●ウズベキスタン国内でシボレーが「GM」を作り始めた。よっての十字マーク(
)の車が多い。
◎アートホステルについて
とてもアットホームなホテル。ここ数年はウズベキスタンに行った時にいつも利用しているせいか、「おかえりなさい」と迎えてくれたのにはビックリ。行くたびごとにあちこちが増築され、良く手入れがされている。ホテル内に猫が2匹、外に野良猫が1匹いて、のんびりした雰囲気にさせてくれる。外の野良猫に食べ物を数回あげる。ホステルでは野外でたまに映画を見せてくれたりもする。鳥がたくさんいて、その鳴き声が朝の目覚ましになるのも嬉しい。鳥の羽の色もさまざま、とても種類が多い。
◎アラル海について
海水と比べて3分の1ほどの塩分の塩湖だったが、1960年から2014年までの間に湖の大きさが10分の1ほどまでに小さくなり、今は魚が住めない塩分の濃度に上がってしまった。干上がった湖のあとには何も作物が作れない。
1940年にソ連が綿花のために大規模な工事で湖の水を抜き、1950年には運河を作り、湖は干上がった。湖はだんだん小さくなり、魚の住めない湖となる。一晩に10センチも水位が下がり、逃げそこなった船が屍(しかばね)のように点在する。湖のうちの200キロ×300キロくらいが干上がり、今はほんのわずか。これは20世紀最大の自然破壊である。
■村上 由希子(フェルト作家)
羊の毛を重ね湯と石鹸で布状に固めるWet feltと、もう一つ針でからめ硬化させるneedle feltの2つの技法により、絵画のような色彩と彫刻のようなフォルムを生み出す。日本には自分の意識外のところで働く直感やおさえる事のできない感情を、虫の仕業とする言葉がいくつもある。たとえば「疳の虫」「虫の知らせ」など。その人間の中にある感情や住む虫をテーマにフェルトで表現している。
■住谷 夢幻(岡田 芳保)
今から73年前のこと、東京から100キロ離れた夢幻氏の家は、自宅近くに隠しておいた飛行機と共にすべて戦争で焼かれてしまったそうです。夢幻氏が8歳のときのことでした。彼は成長して詩や書画の作家となりましたが、その幼少期の体験や民族の歴史、原爆、東日本大震災、世界の文明、歴史的事件などを作品に織り交ぜて表現しています。
今回ウズベキスタンにある、故平山郁夫先生のお作りになった「平山郁夫文化のキャラバンサライ」内のギャラリーにおいて60メートルもの夢幻氏の作品を展示(4月19日~24日)いたしました。ギャラリーの壁面いっぱいに、怒り、悲しみ、人間の歴史や詩が綴られていて圧巻でした。ウズベキスタンの文化大臣も来られていろいろ質問をされました。近頃ますます日本との関係が深いウズベキスタンにて、人類の平和を願うアートを展示し、日本とウズベキスタンの良き交流ができました。