カンボジアの旅 2019
2019年春
七宝工芸作家 斉藤芳子
■プノンペン国立博物館と王立芸術大学
今回のプノンペンで利用した〝Mito Hotel(ミト ホテル)〟は町の中心にあり、とても便利で良いホテルだった。プノンペンへ着いた今日はホテルから10分くらいの国立博物館に行く。
今までのカンボジアではトゥクトゥクを捕まえていたが、最近のカンボジアでは配車アプリ〝PassApp(パスアップ)〟が普及し、スマートフォンがあればいつでも簡単に「Rickshaw(リキシャー)」という白と黒の乗り物を呼び出せる。トゥクトゥクの料金は交渉制だったが、リキシャーはドライバーと乗客の画面に料金が表示されるので安心して利用ができる。町中はほぼ1ドルあれば買い物に行ける。
国立博物館では、遺跡の研究をしているメイホン博士(Menghong Chhum, Phd 美術史家&考古学者)が待っていてくれる。彼は博士号を取り(いくつも持っている)、ここに勤めているのだ。彼が博物館内の民芸品、石彫、石仏、出土品など丁寧に説明をしてくれた。その後に博物館の裏にある王立芸術大学を案内していただき学生たちの仕事を見た。その後に学長にも会わせていただき、いつでもここで特別講習をしてほしいとのこと。メイホン博士のおかげでお会いできてとてもラッキーだった。メイホン博士は、カンボジアの大切な古物をフランスに沢山に持って行かれてしまったので、古物の調査にフランスに一時期行っていたとのこと。
■シクロ
プノンペンでは自転車の前方の座席にお客さんを乗せ、後ろで漕ぎ手がペダルを漕いで進む、日本語では自転車タクシーとも呼ばれている乗り物であるが、リキシャーと違い、ぶつかりそうで恐ろしい。
■プノンペン名物の大渋滞
リバーサイドは王宮のある所であり、ホテルやいろいろな建物が新しい。夕方から夜にかけて川のほとりはとても美しい。あちこちに色とりどりのネオンが光り、ゆっくりと散歩でもしたいものと思う。それと比べ町の中心に行けば行くほど、恐ろしい車の渋滞とホコリ、そして道路の脇には真っ黒の電線の束。朝と夕方の渋滞は特に酷く、いつになっても目的地に着けない。午前7時から10時、午後5時から7時ごろは特別酷く、4列縦隊で長くストップしてしまう。たまには逆走するオートバイもあるので怖い。
■フン・セン政権
カンボジアは王国のはずなのに実際はフン・セン(カンボジア王国首相、カンボジア人民党議長(党首))が国を仕切っている。
■ヘン・サムリン
根岸さん、平古場さん、及川さんの三名がヘン・サムリン(カンボジア王国の下院議長、カンボジア国民議会議長)と写真に写っている。素晴らしい。三名はカンボジアの貧しい子ども達への支援を表彰されたのだとか。ヘン・サムリンは軍隊の長で、ポル・ポトがカンボジアを支配している時にベトナムから多数の兵を連れて来て、一気にポル・ポトの兵をやっつけ、国を救った人。国民は彼をとても崇め感謝している。教科書にも載っていて彼をとても尊敬しているのだ。
■支払いはドルで、お釣りはリエル
現在は1ドル115円。どこに行ってもドルで支払うようになっているので不自由はないが、お釣りはカンボジアのお金で紙幣だ。1,000リエルは1/4ドル、約30円ほど。50,000リエルは約13ドル、約1,500円ほど。
■古都ウドン
古都ウドンに観光に行く。ウドンの仏教遺跡群は、17世紀から19世紀の約250年続いたカンボジアのかつての王が建設した寺院や仏塔を、その時代と共に見られる遺跡群だ。途中には広大な蓮畑があり、蓮の花が咲いている。遺跡へは500段もの階段を上ってゆく。丘の上の古い寺院の中には五千体の仏像が隙間なく入っていて圧倒される。ここで蓮の花を買い供える。
■北朝鮮のレストラン
ショ―を見ながら食事をしたのだが、北朝鮮の食事は量が多いだけで味がすこぶる悪く、3か月前にいた韓国(ソウル)とはずいぶんと違う。女性スタッフはすごく美人ぞろいで、相当の訓練を受けているのか、楽器の演奏、歌、舞はレベルの高いものだった。ショーを見るよりも、美女をうっとり見つめている男性客を見ている方が面白い。山のように料理が余り、手を付けてない皿も多く、女性スタッフにテイクアウトに包んでもらった。帰りの車の運転手さんにチップと共にそれを差し上げると、とても喜んでもらえた。
火事の現場を通ったり、車の事故を見たり、五列の車線が大渋滞の中を予定よりも数時間遅れでホテルに帰る。
■夢ホーム訪問
今回のカンボジア訪問のメインの目的である。リーダーの根岸理事長が10年掛けてコツコツと作りあげ、運営をされてこられた。ホームは思いのほか広く、作業所や釣り池、宿泊施設、学習スペースなどが、1,000坪程の敷地の中にうまく配置されている。のどかに、ニワトリが庭に放し飼いにされていた。
このホームで40℃を超す暑さの中で9名の子ども達に絵画を教える。ロウソクを使ってロウ画を教えた。同行のアーティストの阿部さんはそれぞれの子どもの顔を描いてプレゼントする。みんな大喜びだった。
家の中にはヤモリがウロウロしている。たまにチチッと鳴いたりしている。夜、ベッドの中に入ってきそうで心配だ。
このホームにはドライバーさん、保母さん、保父さんもいる。男子のハウスと女子のハウスに分かれている。外部からの来客の方がこのホームに宿泊するような時には、1泊食事付きで10ドル、食事1食1ドルだそうである。根岸さんは、何もない更地だったような所から、よくもこれだけのものを作ったと思う。
■カンボジアのイオンモール
プノンペン中心北部のPong Peay City内の「イオンモール セン ソック シティ(AEON MALL Sen Sok City)」に行く。プノンペンにはイオンが2か所あるので注意しなくてはならない。1号店は2014年にオープン、今回行った新しいイオン2号店は2018年にオープンしたばかり。その建物はバカでかく、広すぎて買い物もままならない。ここで昼食をとるが、カンボジア料理は辛いものが多く、注文するときにはかならず確めてから注文をしないと、食べられないで終了ということもある。
■もち米が美味しい
セントラルマーケット近くのショッピングセンター(ソリアマーケット)でもち米を買う。タイもベトナムも、カンボジアも、もち米がとても美味い。1ドル買うと、1kgほども買える。重くなければこれが一番のお土産だ。
■小学校訪問
プノンペンの町からバスで3時間のコンポンタメイ小学校に行く。今回は桐生の方が、この学校にトイレと井戸を寄付されたのでその寄贈式に出席する。小学生350人ほどが、40℃を超える庭で待っていてくれる。中には靴を履いてない子もいた。あげても親が売ってしまうのだそうだ。みんなに学用品を配る。小学生の小さな女の子でもイヤリングをしている。たまたま日本から持っていった数十個のピアスを子どもたちにプレゼントする。こんなところで役立って嬉しい。寄贈式では、2名の髪を洗う行事があったのだが、髪にはシラミがいたそうである。ほとんどの子どもの家には体を洗う設備がなどはない。12キロくらいを自転車で毎日通って来る子もいるそうだ。
■トゥール・スレン博物館
国立のトゥール・スレン虐殺犯罪博物館に行き、おびただしい骸骨の山を、勇気を出して見たいと思っていたが、今回は行けなかった。
ポル・ポト時代に政治犯収容所であった3年9か月の間に14,000~20,000人が収容されたと言われ、そのうち生還できたのはたった8人しかいないとされている。以前に博物館に行った人が、骸骨の山積みになっているのを写真に撮ったら、火もないところに地上からおびただしい煙が写っていたそうだ。不思議なことである。
■ミト ホテルのリーさん
ミト ホテルの全部を取り仕切っている人物、リー・ホン(李玉芳、Ly Hong)さんは、何と私と同じ名前だ。芳子は中国語ではホンチューと言うのだそう。同じ〝芳〟なので抱き合って喜ぶ。昨年末に鹿児島での国際会議に出席して、その時に日本で一番美味しかったものはラーメンだったそうである。まるでアパホテルの社長を連想するが、リーさんは金持ちぶらず、とても良い感じで親しく話をしてくれる。それに私が一人でいるのを見て、ミントティーをわざわざ持ってきてくれた。またいつか会いたいからと、写真を撮ってくださる。ぜひ、このホテルにまた宿泊したいものである。
■SIMフリー
今度スマホを買うときはSIMフリーのスマホを買うと良いとのこと。LINEが出来るようになれたら良いのだけれど。
■努力家のドライバーのパンニヤ
今回のドライバーさんはパンニヤさんといって大変な努力家。リキシャーの運転手から始めて、大きなレンタカー会社を作った人。今回の旅では、あちこち行く車はパンニヤさんの会社に頼んだそうである。たまにパンニヤさんも自らが運転してくれた。
ボ・レイさん(女性)はNPO法人 21世紀のカンボジアを支援する会の、現地スタッフでもあるそうだ。とても感じのいい人。
■JICA ポーサン チェイ カレッジ
阿部さんとリキシャーに乗り、JICA(国際協力機構)の作った Posen Chey College(ポーサン チェイ カレッジ)に行く。
この学校は•地方都市の活性化•福祉や農家の人材不足緩和•シニア世代のカンボジア貢献を目的とし、日本とカンボジア間の真の架け橋となるべく文化人の育成に力を注いでいる。
ここで数年日本語の授業を定期的に持っている村松さんに会い、学校内をいろいろと案内してもらう。学長にお会いすると彼はマンゴー販売の会社もしているとかで、すばらしく美味しいマンゴーをいただく。入口にあるクッキーの店、洗車工場、マンゴーやパパイヤの畑など、いろいろ案内していただいた。ここで三人一緒に昼食をとる。村松さんの日本語の授業にも参加させてもらい、学生たちに少しお話をさせていただく。
空港からも近く、近くにイオンもある。帰りのリキシャーはホテルまで6ドルほど。空港までならゴミゴミした町中を通らないので15分から20分で、リキシャーで3ドル程度で行ける。外国からもとても便利なところにある。広く取り巻いている塀の中は安全で綺麗で別世界。とても良い職業訓練校である。
ここでお会いしたサリン・チャンさんは障がい者施設Hands of Hope Communityのディレクターなのだそうである。
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